画面の暗転から始まる長い沈黙。何も映らない。
しばらくするとまるで遠くのざわめきが、次第に近づいてくるような、そんな不穏な音。そして、ようやく映し出される映像は、意外と明るくてのどかな風景なんです。
一見すると、どこにでもある幸せそうな家族の日常。広い庭で子供たちが遊び、母親は家庭菜園にいそしむ。けれど、見ているうちに、どうも妙な雰囲気が漂っていることに気づかされるんです。まるで「きれいな布」で覆われた下から、じわじわと「汚れたもの」が滲み出てくるような、そんな居心地の悪さ。
映画をざっくり紹介
「関心領域」は、2023年に公開されたイギリス・アメリカ・ポーランド合作の歴史ドラマ映画です。第96回アカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞を受賞しました。第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所の隣で「理想の生活」を送ろうとする家族の日常が描かれ、その不穏な対比が観る者に強烈な印象を与えます。
白と黒が織りなす「不気味な映像」
この映画、モノクロ写真の現像みたいな、やたらと白が強調されたシーンが印象的でしたね。まるで現実から切り離されたような、不気味な映像。彼女が何かを土に埋めているシーンがあるんですが、リンゴかな?多分食べ物だと思うんだけど、あれもまた、何かの象徴のようでゾッとしました。
そして同時に流れるのが、「ヘンゼルとグレーテル」の童話。これもまた、物語全体に不気味さを添えるんですよね。森の中に迷い込んだ子供たちが、甘い罠にかかる。この映画で描かれる「理想の生活」は甘い香りのする毒を示唆しているのか、それとも童話とは異なり、罪もない人たちがただ焼かれているという暗示なのか。
ヘンゼルとグレーテルで登場する魔女は確か何人もの子供を攫って食べていたんじゃなかったですっけ。唯一ヘンゼルとグレーテルだけが、機転を利かせて生還したというお話。とするとやはり、あのシーンは生還した二人にフォーカスをあてたかったのではなく、魔女にやられてしまった、つまり命を奪われた方々のほうの暗示だったのでしょうね。
アウシュヴィッツの「隣」で暮らすということ
しばらくすると、少しずつ映画の核心が見えてくるんです。この豪華なお屋敷は、なんとアウシュヴィッツ強制収容所の目と鼻の先。数メートル先には、あの高い壁がそびえ立っているんですよ。想像してみてください。あの収容所の中にいる人たちの悲鳴や声が、きっと聞こえてきたはずなんです。焼却炉の煙も、彼らの生活圏に漂ってきたことでしょう。
それなのに、ここに住む一家の主婦は「こここそが理想の家だ」なんて言う。あの声や煙は、彼女にとっては何でもなかったのでしょうか。地獄のような場所の隣で、子育てをして立派な家を構えるなんて、考えただけでも身震いします。
ユダヤ人迫害の話は、本当に恐ろしい。人間の所業とは思えませんよね。国を挙げて、どうすれば効率よく「処理」できるか検討したなんて、信じがたい事実です。財産を問答無用で奪われ、虐げられ、ガス室に送られる……まさに地獄そのものです。そんな場所から数メートルしか離れていない場所で、何の「関心」も持たずに平穏な生活を送る。これほど恐ろしいことはありません。
主演のルドルフ・ヘスを演じたクリスティアン・フリーデルと、妻のヘートヴィヒを演じたサンドラ・ヒュラーの演技も秀逸でしたね。彼らの表情からは、表面的な「日常」の裏に潜む、人間の恐ろしさや無関心さが静かに滲み出ていました。
突きつけられる「事実」の重み
映画の最後に、アウシュヴィッツ資料館の映像が映ります。あのおびただしい数の靴を見ただけで、気分が悪くなりました。そこを訪れた人の多くは、そのあと気が滅入って、食事も喉を通らないというのは本当のことでしょう。
この映画全体は、何かを声高に主張するのではなく、淡々と事実を伝えるような印象を受けました。だからこそ、その事実の重みがずしりと心に響くんです。私自身、この映画で初めてアウシュヴィッツ資料館の一部を映像で目にしましたが、これは本当に恐ろしい。想像をはるかに超えて、話がより現実なものとして心に突き刺さりました。そして、あの収容所の隣にあったお屋敷もまだ残っているということも知りました。一度は訪れてみたい、そう強く思っています。
この映画は、私たちに「無関心」という名の罪を問いかけているのかもしれません。あなたも、この「関心領域」で、何を感じるか、ぜひ体験してみてください。