1939年、ドイツがポーランドに侵攻したことで始まった第二次世界大戦。この映画は、その後に起こったホロコーストの現実と、一人のピアニストを描いた作品です。
ゲットーの設立と段階的な迫害
ドイツ占領下のワルシャワでは、1940年にユダヤ人居住区、ゲットーが設立されました。ユダヤ人は腕章--いわゆるダビデの星--の着用を義務付けられ、指定された区域に強制的に移住させられました。そして食料配給は極端に制限され、自由な移動も禁止されます。
ワルシャワに住み、ラジオでピアノ演奏を放送していたウワディスワフ・シュピルマン。彼も例外なくこの波に巻き込まれます。
戦争映画をみるといつも思うのですが、普通の人間がここまで非道になれるものなのかと考えてしまいます。段階的に人権を奪っていく手法の恐ろしさを感じます。
強制収容所への移送と家族の離散
1942年から本格化した「最終解決」により、ワルシャワ・ゲットーの住民は次々と強制収容所へ送られました。家族は引き裂かれ、多くの人々が二度と会うことはありませんでした。
家族との別れのシーンは本当に辛くて見ていられませんでした。意味もなく殴られ、踊らされ、そして命を奪われる人々の姿に、人間の尊厳とは何なのかを考えさせられました。
ワルシャワ・ゲットー蜂起
1943年4月、絶望的な状況の中でワルシャワ・ゲットー蜂起が起こりました。地下組織が形成され、武器を調達して抵抗を試みたのです。しかし、圧倒的な戦力差により蜂起は鎮圧され、ゲットーは完全に破壊されました。
映画の中盤では強制労働の帰り道、手元にある荷物を壁の向こう側へ放り投げるシーンがあります。これは調達した武器や食料を、壁の外側の仲間に渡していたのでしょうね。当時、ユダヤ人を隔離して孤立させようとしましたが、あまりにも厳しい状況が逆に地下組織を生み出してしまったということでした。
生存者の現実
ホロコーストを生き延びた人々の多くは、戦後も深い心の傷を抱えて生きることになりました。家族を失い、故郷を失い、それでも生きていかなければならない現実がありました。
主人公はピアニストでした。音楽家には申し訳ないのですが、戦争ではこのスキルは何の役にも立たないだろうなと思ってしまいました。安定して豊かでないと、これらの芸術は発展しないものですから。
人間性の光と影
興味深いことに、ナチス・ドイツの将校の中にも、人道的な行動を取った人物がいたという記録があります。映画でも、ドイツ人将校がピアニストを助けるシーンが描かれています。
この映画で最も印象的なのは、ドイツ将校の前でピアノを弾くシーンです。あの時、主人公はどんな気持ちだったのでしょうか。そして生還してからも、どんな思いで鍵盤を叩いたのか?考えると心がざわつきます。
生きていてよかったという安心感もあるでしょう。再会を果たせなかった家族や無残に殺された人々のことも頭をよぎったでしょう。もしかするとピアノの演奏に集中することで、それらの記憶を一時的にでも忘れたかったのかもしれません。戦前と戦後では、主人公はかなり違った思いでピアノを弾いていたのだと思います。
また、人を助けた人には何らかの見返りがあると思いたいのですが、多分現実はそんなことはないでしょう。主人公はラッキーだったんです。劇中で「神に感謝しろ」というセリフがありましたが、そのとおりかもしれません。
歴史を記憶することの意味
ホロコーストでは約600万人のユダヤ人が命を奪われました。この数字の重さを、私たちは忘れてはいけません。
瓦礫で本当に何もなくなってしまった街で、乞食のように食べ物を漁る姿を見ていると、戦争の恐ろしさを改めて感じます。
この映画は、音楽が持つ力、人間の残酷さと優しさ、運命の不条理さについて多くのことを考えさせてくれる重要な作品です。簡単に「感動した」とは言えない、でも確実に心に残る映画でした。