まさかの三途の川からスタート!? 冒頭の「死」がもたらす意味深な予兆
ええと、まず何から書こうか。まず、この映画を語る上で避けて通れないのが、本編開始早々に登場する3つの死体。正直、「え、いきなりこれかい!」と声が出そうになりましたよ。本編とは一見関係なさそうに見えるこのシーンですが、これが実は非常に重要なんです。
私たちが当たり前だと認識している「死」の悲劇性や唐突さを、ここでまず植え付けておく。そうすることで、その後の奇妙な共同体で行われる、ある意味「儀式的」な死の描写が、より一層異質で不気味なものとして際立つのです。
「死とは悲しいもの」という常識を、観客と共有しておくことで、ホルガ村の住人たちが持つ「死生観」とのギャップが強烈なインパクトを与えるわけです。この映画、監督の周到な仕掛けにまんまとハマってしまいますね。
美しき大自然と狂気の共存 – ホルガ村の「普通」とは?
スウェーデンの奥地、森深くにあるホルガ村。そこは、息をのむほど美しい大自然に囲まれ、咲き乱れる花々、真っ白な衣装をまとった村人たちが迎えてくれます。まさに「穢れなんて知りません」と言わんばかりの、牧歌的な光景。しかし、そこで行われる祝祭は、常識では考えられないような「野蛮で残酷」なものばかり。
「いやいや、あんたら、それ普通じゃないから!」とツッコミを入れたくなるんですが、彼らにとってはそれが「普通」なんです。私たち部外者からすれば、その行為は異常の一言。でも、観ているうちに、その「異常」が「普通」に見えてくる瞬間があるから恐ろしい。彼らの楽しそうな表情、確固たる信念を見せつけられると、「あれ?もしかして、私の方がおかしいのか?」なんて錯覚に陥ってしまうんですから、もう大変です。このカオスに巻き込まれる感覚は、なかなか味わえるものじゃありませんよ。
洗脳か、救済か? 主人公ダニーの「選択」
主人公のダニーが、徐々にホルガ村の共同体に引き込まれていく過程は、まさに精神的なサスペンス。最初はただの旅行者だった彼女が、自身の抱えるトラウマや心の闇を巧みに突かれ、共同体の「家族」として迎え入れられていく様子は、観ていて息苦しくなります。
特に印象的なのが、クライマックスでのダニーのあの微笑み。恐怖に打ち震え、泣き叫ぶ恋人クリスとは対照的に、全てを受け入れたかのようなその表情は、観る者に強烈な印象を与えます。あれは、彼女が「向こう側」に行ってしまった証拠なのでしょうか。それとも、ようやく安らぎを見つけた、一種の「救済」だったのでしょうか。カマキリのメスが交尾後にオスを食べてしまう、なんて話を聞いたことがありますが、なんだかそんな本能的な残酷さも感じてしまって、ゾッとしましたね。
『ミッドサマー』が問いかける「人間の本質」と「共同体の在り方」
この映画は、私たちに多くの問いかけをします。「何が正常で、何が異常なのか?」「共同体とは何か?」「人はどこまで残忍になれるのか?」と、頭の中をぐるぐると巡ります。そして、観終わった後も、その強烈な映像とテーマがいつまでも心に残ります。
アリア・アスター監督の緻密な演出と、主要キャストであるフローレンス・ピュー(ダニー役)の鬼気迫る演技は圧巻の一言。特にフローレンス・ピューの感情の移り変わりは、観客を否応なく物語に引き込みます。これほどまでに心をかき乱される映画は、本当に久しぶりでした。
再びあの悪夢へ? リピート必至の衝撃作!
「後味が悪い」とは聞いていましたが、私の場合は「後味どころか、ずっと胸が苦しい」という状態でしたね。こんなにも表現に困る気持ちになったのは、本当に久しぶりです。しかし、その不快感こそが、この映画の魅力なのかもしれません。
観終わってからも、様々なシーンが頭の中で再生され、まるで私自身の頭がおかしくなってしまいそうな感覚に陥りました。これは、映画という枠を超えた、**「体験」**と呼ぶべき作品です。もしかしたら、またこの「悪夢」に足を踏み入れてしまうかもしれません。あなたもこの強烈な世界観に、一度足を踏み入れてみてはいかがでしょうか? きっと、忘れられない体験になるはずです。
最後に映画の概要を(ちょいネタバレ)
美しいスウェーデンの白夜を舞台に、90年に一度の祝祭で繰り広げられる狂気と暴力。アリア・アスター監督が贈る映画『ミッドサマー』*は、まるで絵画のような美しい映像とは裏腹に、観る者の精神を深く抉るサイコホラーです。ある夏の祝祭に参加したアメリカの大学生たちが、穏やかな村の裏に隠された悍ましい真実に直面し、想像を絶する悪夢に引きずり込まれていく様は、まさに戦慄の一言。この映画、一言では言い表せない強烈な体験をあなたにもたらすことでしょう。
これ見ようよ、ね。大丈夫、こわくないからさ。