2024年に公開された映画『さよならほやマン』は、宮城県石巻市の小さな島を舞台にした人間ドラマです。震災から十年以上が経った今でも、その爪痕を心に抱えた人々の姿を静かに、しかし力強く描きます。タイトルに登場する「ほやマン」は、ホヤをモチーフにしたご当地ヒーローのような存在で、物語のキーとして象徴的に扱われています。
冒頭15秒でやめようかと思ったけれど、最後には涙が止まらなかった
正直に言うと、最初の15秒で「これはちょっと無理かも」と思ってしまったんです。ですが、気づけばラストまでしっかり観て、しかも不覚にも大泣きしていました。
島に突然現れた女性漫画家・美晴。彼女のふてぶてしい態度には、最初は正直、少しずつヘイトがたまっていきました。しかし、島で暮らすアキラやシゲル、そして他の住民たちと関わるうちに、少しずつ彼女との関係性が変わっていきます。
そして、終盤に見せた美晴の“あの笑顔”。あれは本当に天才的な表情でした。もしかしたら、彼女が作中で初めて見せた笑顔だったかもしれません。
海をめぐる痛みと再生の物語
アキラが抱えていた過去――両親を海の事故で亡くし、それ以来海のものが食べられないというトラウマ。それは、島の自然と共に生きることの痛みでもあります。狭い島に縛られ、自由を奪われているように感じる瞬間もあるでしょう。でも、そこにしかない何か――言葉では説明できない「大切なもの」が、この島にはあるのだと思います。
『さよならほやマン』には、「トラウマをどう乗り越えるのか」というテーマも含まれていると思いますが、それ以上に東日本大震災の記憶。それは、時間が経っても、消えたわけではなく、誰もの心の奥に静かに、でも確かに残っている。その傷をどう抱えながら生きていくのか――映画はそれを問いかけているようでした。
ホヤマンはなぜ“ホヤ”だったのか?
タイトルにもある「ほやマン」についても少し触れておきたいと思います。実在するご当地ヒーローかどうかはさておき、ホヤというモチーフにはちゃんと意味があったと思います。
劇中では、「脳みそ空っぽ」とホヤが揶揄されるシーンもありますが、最後にはその“空っぽ”の意味が変わります。この島で生きていくことは、理屈ではない。理屈を超えた、自分にとって自然で、大切な選択。それがこの映画のメッセージなのかもしれません。
役者たちの熱演と、美晴という存在
いろいろ問題のある彼女、美晴を演じたのは呉城久美さん。この映画で初めて知った女優さんですが、非常に印象に残る演技でした。映画の中では美晴がその後どうなったのかは描かれていません。でも、私は彼女がまた島に戻ってくると信じています。むしろ、ラストシーンは「彼女を迎えに行く」そんな場面だったのかもしれません。
アキラやシゲルを演じた俳優たちも素晴らしかった。前知識ゼロで観ましたが、こういう映画に偶然出会えるのは本当に嬉しいこと。映画好きでよかったなと思える瞬間でした。
おわりに
『さよならほやマン』は、震災の記憶、心の傷、そして島の魅力や人間関係を、ユーモアと温かさを交えて描いた作品です。観る人によって、受け取るメッセージが異なる映画かもしれませんが、私にとっては「忘れたくない何か」を思い出させてくれる一本になりました。
気になった方は、ぜひ一度観てみてください。最初の15秒で「うーん」と思っても、その先にはきっと心を打つものが待っています。