古びたアパートの一室。持ち主の秀雄と暮らす、空っぽな誰かの「代用品」である空気人形。そんな彼女が、ある朝、心を持ってしまう。
この映画を観て、まず心を奪われたのは、その着眼点でした。下手をすれば単なるエロティックな物語になりがちな題材を、人間の本質を深くえぐるようなストーリーへと昇華させている。是枝裕和監督の手腕には脱帽するしかありません。
これは、心を持った空気人形の物語でありながら、実は、我々人間自身の物語なのだと、強く考えさせられました。
空っぽなのは、果たして誰か?
空気を抜けばふにゃふにゃと潰れてしまう空気人形。しかし、空っぽなのは本当に彼女だけなのでしょうか。
映画を観ていて気づかされるのは、秀雄をはじめとする登場人物たちもまた、心のどこかにぽっかりと穴が空いているということ。過食症の女性、孤独な男性…彼らは皆、その空っぽな穴を埋めるために、必死にもがきながら生きている。
空気人形の体が太陽の光に透けて見えるシーンが印象的でした。自分という存在が空虚であることを、否応なく突きつけられる瞬間。彼女がそれを恥ずかしいと感じてしまうのは、心の奥に芽生えた「人間らしい感情」がそうさせているのでしょう。人間は、この空っぽさを隠すために、他者を求め、あるいは時には欺く。そんなセリフが、重く胸に響きました。
誰かの息で満たされることのいとおしさ
この映画の一番の見どころは、空気人形が自分の好きな相手、レンタルビデオ店の店員・純一から、自分の体に空気を入れてもらうシーンでしょう。
彼女は、純一に心惹かれながらも、彼の中にも自分と同じような空虚感を感じ取ってしまいます。そして、その空虚さを埋めたいという純粋な気持ちから、自分の体に空けた小さな傷口を、わざと広げて彼の息を吸う。好きな人の空気で自分が満たされるという、あのシーンの切なくもいとおしい描写は、もう少しじっくりと堪能したかったものです。
彼女が純一に「満たされる快楽」を分け与えようと試みるその行為が、やがては物語の結末へとつながっていく。もしかしたら、それはほんの一瞬の出来事かもしれない。だけど、間違いなく誰かの隙間を埋めることができる。そんなささやかな希望が、この物語の最後の最後に、わずかな光を灯してくれるのです。
わずらわしい人間関係、そして救い
私には、板尾創路さん演じる持ち主の秀雄の気持ちが痛いほどよくわかります。彼が心を持った空気人形に言った「人間みたいなのは面倒くさい」という一言は、まさに年を重ねたおっさんの本音かもしれません。
結婚して子供もいて、日々の生活の中では人間関係に疲れてしまうことが、ままあります。それでも簡単に切り捨てることはできない。だからこそ、最初からそれを求めないという選択肢に安らぎを見出す。秀雄は、そういう生き方を選んだのでしょう。
韓国の女優、ペ・ドゥナさんが演じる空気人形は、日本の女優さんにはない独特の空気感と佇まいで、この作品の世界観を強固なものにしています。言葉ではない、身体全体で感情を表現する彼女の演技は、観る者の心に深く訴えかけてきます。
もし、あなたも日々の生活に少し疲れているなら、自分の中の空っぽさを見つめ直すためにも、この映画を観てみるのはいかがでしょうか。きっと、何か大切なものを見つけられるはずです。
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