カミーユ (Camille)~今、私がいるところは離れられない場所なのだろうか
理想に燃える若きフォトジャーナリストのカミーユは、内戦前夜の中央アフリカへと向かう。そこで目にしたものが彼女の運命を大きく変えていく...。
フランスの写真家カミーユ・ルパージュのお話です。
映画が始まってすぐです。
バイクに乗った民兵がなにやら大騒ぎしていて、車を降りたフランスの平和維持軍が話を聞いたところ「白人の女性がやられた。」ですって。
つまり、この映画の主人公はすでに死んでいると。
この構成は、映画にどんな影響をもたらしたのか。
引っ張るだけ引っ張って最後にばらすというパターンだとショックは大きいです。
かわいそうとか悲惨という思いが先行し、彼女自身に興味が集まると、この映画で伝えたかったアフリカの人々の気持ちや生き様はフォーカスされなかったことでしょう。
だからあえて重要なことを冒頭に持ってきたのでしょうか。
主人公が亡くなることが結末とは言えませんが、本題に入る前に伝えておくことで、この映画をより客観的に見ることができるようになるのかなとおもいました。
さて、私はカミーユのフィルターを通してでしか物事を見ることができません。
「セレカ(イスラム系の反政府組織)」が正義なのか、「反バラカ(キリスト教系民兵組織)」が正義なのか議論するのは無意味でしょう。
カミーユは反バラカ側で取材を行っていましたが、人間としての善悪について問う場面がいくつかありました。
セレカを見つけたら車から引きずりだしてなぶり殺しにする。セレカの住んでいる家から家財道具すべてを奪い去る。
関係のない商店への略奪。そしてセレカ側からの反撃で親しい知人が殺される。
本人たちもやっていることが人間として間違っているとわかっていると思います。
だけどもそれを制御できない。
イスラム教とかキリスト教という言葉が入ってしまうと、宗教の違いによる紛争かと思ってしまいがちですが、実際はもっと事情は絡み合っていて本人たちもよくわからなくなっているのではないかと思います。
指導者が変わり、情勢の変化により価値観はどんどん変わる。だけども、恨みや妬みなどマイナスの感情は長く残り続ける。
平和維持軍の派兵には賛否両論あるようですが、絡まった糸を解くのは簡単ではない。
マイナスのループを断ち切るのはやっぱり本人たちの力だけでは不可能ではないかと思っています。
言葉も満足に通じない国に単身で乗り込んでさらに内戦の最前線で写真を撮る。
なぜそんな危険を冒す必要があるのか私には想像ができないのですが、カミーユにとってはそれがごく自然のことだったようです。
誰かのためではなく自分のため。
この大地のためなら命を落としても惜しくないと思えるような生活にはちょっとあこがれてしまいます。