独裁者と小さな孫~捕らえられ、もみくちゃにされながら彼は何を思ったのか
祖国イランを離れヨーロッパで亡命生活を続けている巨匠モフセン・マフマルバフ監督が込めた平和への想い。独裁政権に支配される国。クーデターが起こり、年老いた独裁者は幼い孫と共に逃亡を余儀なくされ、自らの圧政により貧困に苦しむ人々の暴力と憎しみの連鎖を目の当たりにする。
砂浜の小さな土管の中で発見されるシーンは、サダム・フセインの姿と重なります。
追い詰められた彼はたった一人で排水溝に潜り息をひそめていましたが、暴徒化した住民達に発見され、その場で銃殺されたと記憶しております。
もしかしたら、この老人と孫は同じ目にあってしまうのか。
少々残酷なシーンが続き暗い気持ちになったのですが、ラストに一番伝えたいメッセージが残されていました。
独裁国家になってしまったのは、彼を大統領に祭り上げた国民がいたわけです。
さらに、指示に従った軍隊や警察や官僚もいるわけで、彼がすべての責任を負うというのもなんだかなという気がします。
「大統領を処刑するならまず俺からやってくれ。」
フセインが市民にもみくちゃにされているときにも、こんな勇気のある男は現れたのでしょうか。
大統領一人だけを糾弾すべきでないという議論は行われたのでしょうか。
独裁者は無茶苦茶なことをするイメージがありますよね。酒池肉林に生殺与奪。
どんな聖人であってもこんな日が続けば、人間らしさは失われてしまうような気がします。
今回主役となった大統領も、冒頭ではひどく傲慢な態度が目につきますが、権力を失ってからはそこらにいる普通のおじいさんと変わりません。
今まで見えていなかった街の人々の貧しい生活。彼らから発せられる自分の批判をどんな気持ちで聞いたのでしょうか。
これまでの所業は許されるべきではないですが、大統領だって同じ人間です。
恋をして自分の息子を殺されたときには悲しい。
何も知らない孫の無垢さ、無邪気さは映画の中ではとても重要でした。
孫からすると知らない大人が大好きなおじいちゃんをいじめたという風にしか思えないでしょう。
あの子がいずれ力を持ち、ふたたび政権に戻ることになったらどんな風に統治するでしょうか。暴力からは暴力しか生まれない。
アラブの春がもてはやされた時期はありましたが、
その後どうなったかを調べるとすべての国が幸せになったわけではないことがわかります。
国が混乱して収集つかなくなったり、第2、第3の独裁者が現れたりと様々です。
民主主義が正しいかどうかはわからないのですが、人間をモノのように扱う社会は間違っていると思います。