「グッド・ネイバー」というタイトルを耳にして、私は最初はてっきり心温まる隣人との交流を描いた話か、それとも素敵な恋愛模様が繰り広げられるのかと思っていました。ところがですね、蓋を開けてみたら、これがなかなかに心臓に悪い。家でゴロゴロしながらゲームなんてやっている場合じゃないよなーと思ってしまいます。
グッド・ネイバー:映画紹介
『グッド・ネイバー』は、退屈しのぎに一人暮らしの老人の家に侵入し、ドッキリを仕掛けるショーンとイーサンという若者たちの物語です。急にドアが開閉したり、クーラーが作動したりといった様々な仕掛けで老人を驚かせ、その反応を隠し撮りカメラの映像で楽しもうとします。しかし、老人の反応は彼らの期待とは異なり、冷静すぎるどころか常軌を逸した行動を見せ始め、若者たちは奇妙さを感じていくことに。隣人へのいたずらが、やがて思いもよらぬ悲劇へと繋がっていくサイコロジカルスリラーです。
期待を裏切る「いけ好かない若者たち」
映画の冒頭、登場するのはなんだかいけ好かない若者2人。研究だとかYouTubeだとか言っていますが、結局のところ、彼らがやりたいのは「ムカつく隣人をいじめて、その様子を監視する」ということ。なんだそりゃ、と。正直、こんな気分の悪くなる作品なんて観なけりゃよかったと、少し後悔したものです。
しかし、しばらくすると、若者が設置したカメラとは別の視点が登場し、この映画が単なる若者の悪ふざけではない「フィクション」であることが分かってきます。少しホッとしたのも束の間、ポルターガイストを意図的に発生させてその反応を観察するなんて、やはりひどすぎる。
映画はちゃらちゃらした若者が老人をいじめるという図式で進んでいくのですが、突然、裁判の映像が入り込んできます。弁護人から「血が出ていた」「倒れていた」といった物騒な言葉が飛び出し、とんでもない結末になったことだけが示唆されるんです。こういう演出を考えられるのは感心しますね。映画を作る方々って、本当に天才ばかりだと改めて思いますよ。
老人の異常な「冷静さ」と若者たちの疑念
若者たちが仕掛けたトラップは次々に動作するのですが、老人は彼らが期待するような驚きやパニックの反応を見せてくれません。むしろ、その冷静すぎる態度が、若者たちには奇妙に映り、やがて「地下に死体でもあるんじゃないか」と疑い始めるようになります。この辺りから、物語は単なるいたずらでは終わらない、不穏な空気をまとっていきます。
やがて、若者たちが老人をいじめる動機が明らかになり、彼らの薄っぺらい本音まで見え隠れするようになります。最初は「アホな若者2人に天罰が下るだろう」なんて思っていたんですが、物語の展開と共に裁判では様々な証人が呼ばれ、誰に悲劇が訪れたのかが少しずつ解明されていくんです。
時折挟まる過去の回想シーンが、何とも切ない。失われた時間は、もう決して戻ってこないんです。あの老人はおそらく、自身の体に異常が出てきたと思ったのでしょう。幻覚や幻聴、そして自分では気づかないうちに物が移動している。とうとう自分が痴呆症になったのではないかと疑ったかもしれません。病気に気づいても、それを治療するつもりは全くなかった。たった一人で15年間も苦しむというのは、あまりに長すぎたのではないでしょうか。
絶望の中で聞こえる「ベル」
そして、あの「ベル」が聞こえたのであれば、もう彼がやることは一つしかありませんでした。映画は若者が悪で老人は正しいという構図で進みますが、もし私が、あの老人のように、健康を蝕まれ、孤独に苛まれる立場だったら…ひょっとしたら、自らも「きっかけ」をいつも探していたかもしれない、なんて思ってしまいましたね。若者2人の所業は決して許されるべきではありませんが、結末には、どこか納得がいってしまった自分がいたのも事実です。
まとめ:老いと孤独、そして人間の闇
主演の老人を演じたジェームズ・カーンは、セリフは少ないながらも、その表情や佇まいから老いと孤独、そして内に秘めた絶望を見事に表現しています。彼の演技がなければ、この映画の重みは伝わらなかったでしょう。若者たちを演じたローガン・ミラーとキーア・ギルクリストも、軽薄さの中に隠された葛藤や恐怖を演じきっています。
心も体も健康に老いるというのは本当に難しいことです。これから私自身が直面していく課題でもありますから、この映画を観て、改めて考えさせられました。それにしても、老人が主役の映画って、救いがないから悲しくなることが多いですよね。