43歳独身の心優しい大男、フーシ(Fusi)が主人公の恋愛物語です。イケてないおじさんが、おしゃれしてダイエットしてものすごくイケメンになりました!みたいな、よくあるサクセスストーリーではないところが、非常に良かった。
序盤からフーシは同僚にからかわれたり、近所の子どもと遊んでいると幼女誘拐と間違われたりと、ひどい扱いを受けます。そんな彼のささやかな楽しみは、戦車や兵士のフィギュアでジオラマを作ること。そんなフーシを見かねた母親が、彼に出会いのチャンスを作ろうとダンス教室を申し込むところから、物語は動き出します。この映画を観て、恋愛ってなんだろう、人間関係ってなんだろう、と深く考えさせられましたね。私にもフーシになる素質は十分あったな、なんて他人事とは思えない気分になりましたよ。
映画『好きにならずにはいられない』とは?
2015年に公開されたアイスランド映画『好きにならずにはいられない』は、ダーグル・カウリ監督が手がけたヒューマンドラマです。アイスランドに住む43歳の独身男性フーシ(ガンナー・ヨハンソン)は、心優しいが不器用で、周囲からは浮いた存在。そんな彼が、ダンス教室で出会った心に深い傷を抱える女性シェヴン(イルム・ヘルガ・スデュルゲイト)に惹かれ、彼女を守るために初めて自分から外の世界へ飛び出していく姿を描きます。静かで叙情的な映像の中に、不器用な愛情と孤独、そして人生の選択が描かれた作品です。
3歩進んで2歩下がる、フーシの恋
物語が進むにつれて、フーシは少しずつ持ち直していくのですが、映画の合間に挟まれる暗く冷たい映像からは、「これはハッピーエンドでは終わらせないぞ」という監督の強い意思を感じました。
ダンス教室でシェヴンと出会い、陽気な彼女に惹かれていくフーシ。初めてダンス教室に行った感想を聞かれたとき、彼は「3歩進んで2歩下がる」と言いました。まさにこの言葉が、彼の恋の進展具合を表しているんです。いい感じに進むかと思えば、また拒絶されてしまう。愛しの彼女と一緒に住む話まで出たのに、土壇場でひどい仕打ちを受けても、彼は何も言わず引き下がります。その後しばらく連絡を取り合わさなかったことから考えると、彼は振られてしまったのでしょうね。
孤独な男の選択と、誤解されがちな愛情表現
フーシは、誰も傷つけず、自分自身が一番落ち着く方法を選んでここまで生きてきました。例えば、恋愛をしないことや、古くからの友人を大切にすること。しかし、周りは彼をそういう目では見ません。「いい年になって、恋人もおらず、子どものような遊びをしている人はみんな変人」――社会はそう烙印を押す。フーシも、周りからそういう目で見られていることをよく分かっているから、余計に引きこもる。できることが、だんだんできなくなっていく。
毎日同じようなものを食べ、同じようなスケジュールで動く。「ダサいけど悪くない」とか、「犯罪を犯すような人じゃない」というのは決して褒め言葉ではありませんが、この言葉が彼を最もよく現していると言えます。
私が思うに、フーシは本当にシェヴンのことを「好き」だったのでしょうか。悪く言えば、恋愛というものを誤解しているのかもしれません。目の前に死にそうな子犬や子猫がいたら、助けてあげますよね?たぶん、フーシの気持ちは、それに近いものだったんじゃないでしょうか。
彼女の家の窓を破壊して侵入したのも、彼女が恋しかったわけではない。そうしなければ死ぬと思ったから。料理も掃除も、彼女をお風呂に入れたのも、同じ理由です。あの店を買うのも、普通に考えれば異常な行動です。でも、フーシはそうとしか愛情を表現できなかったんですよね。かわいそうだという気持ちと、やっぱり何らかの精神疾患があるんじゃないかという気持ち、そして自業自得だよね、という気持ちが入り混じる、なんとも複雑な感情を抱かされました。
一人きりの旅路と、最後に見た笑顔
映画の最後、フーシが一人でエジプトへ行くシーンがあります。そこで、この映画では貴重な彼の笑顔が見られるのです。私、この笑顔は初めて海外に行くのが楽しみで思わず出てしまったもので、彼女のことを考えて幸せを感じたからではないと思っています。
結局、最後はやっぱり一人きり。
なんだか他人事とは思えないような映画でしたが、やっぱり恋愛映画はハッピーエンドがいいなぁ、なんて、つい個人的な願望を抱いてしまいましたね。
まとめ的なもの
『好きにならずにはいられない』は、心優しいが不器用な大男が、社会の偏見と孤独の中で、不器用な愛を模索する姿を描いた作品です。派手な展開はありませんが、フーシの葛藤と彼の行動の根底にある純粋さが、観る者の心に静かに問いかけます。ハッピーエンドの恋愛映画に慣れている方には、少し重く感じるかもしれません。