40歳を過ぎた広告マンのレスター・バーナムと上昇志向たっぷりの妻キャロリン。彼らの家庭生活に潜む歪んだ真実が徐々に暴かれていく。妻は夫を憎み、娘のジェーンは父親を軽蔑している。そして会社の上司はレスターにリストラによる解雇を告げる。そんな毎日に嫌気が差したレスターは、人生の方向転換を図る。しかし、自由と幸せを求めるレスターを待ち受けていたのは、あまりにも高価な代償だった。
「アメリカン・ビューティー」と聞くと、多くの人は「アメリカ人の素敵な女性とのロマンス」を想像するかもしれません。私も、初めてタイトルを目にした時はそう思いました。しかし、この映画はそんな甘いものではありませんでした。1999年に公開され、その年のアカデミー賞で作品賞を含む5部門を受賞した本作は、ごく一般的なアメリカの郊外に暮らすバーナム一家の日常に潜む「歪み」を描いたヒューマンドラマです。
主人公は40歳を過ぎた広告マン、レスター・バーナム(ケビン・スペイシー)。上昇志向の強い妻キャロリン(アネット・ベニング)とは冷え切った関係で、思春期の娘ジェーン(ソーラ・バーチ)からは軽蔑されている始末。さらに会社ではリストラを宣告されるという、まさに人生の袋小路に迷い込んだ男の物語です。
中年の危機、あるいは「自由」への渇望
前半は三下り半を突きつけられた父親、レスターが人生の停滞から脱却しようともがく姿がややコミカルに描かれます。美しき女子高生、アンジェラへの一方的な恋心に突き動かされ、彼は禁煙し、筋トレを始め、自由奔放な行動を取るようになります。ある意味、中年の危機を迎えた男の解放劇とも言えるでしょう。家庭内では妻も娘もそれぞれに問題を抱え、隣人の家族もまた、一見すると完璧な家庭を装いながら、内面には深い闇を抱えています。
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ケビン・スペイシーが演じるレスターは、冴えない中年男から覚醒していく姿を実に魅力的に演じています。その変貌ぶりには、見ているこちらも「自分も何か変われるんじゃないか?」と思わされてしまいますね。
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アネット・ベニング演じる妻キャロリンもまた、夫への憎しみや自身の虚栄心に囚われた女性を見事に表現しており、その存在感は圧倒的です。
現代社会が抱える闇、それでも「ビューティー」?
この映画には、不倫、ドラッグ、暴力、同性愛、そして元海兵隊員の厳格な父親による抑圧など、現代社会が抱える「毒」や「膿」とも言える要素がこれでもかというほど詰め込まれています。正直、「アメリカン・ビューティー」というタイトルからはかけ離れた、人間の醜い部分がこれでもかと描かれています。
「こんなに汚いものを描いて、それでも『ビューティー』と名付けたのはなぜだろう?」
鑑賞中、何度もこの疑問が頭をよぎりました。もしかしたら、人間が抱える生々しい感情や、時に見せる滑稽さ、そして抗えない弱さこそが、最も人間らしく、ある意味で「美しい」というメッセージなのでしょうか。
ラストシーンと謎と幸せの定義
衝撃的なラストシーンは、観る者に強烈な問いかけを残します。なぜレスターは銃殺されたのか、そして、あの状況でなぜ彼は「幸せだ」と言い切れたのか。私自身、何度かラストシーンを見返してみましたが、未だに明確な答えは出ていません。
私が特に考えさせられた点は以下の2つです。
1. 妻キャロリンの行動の真意
レスターを銃殺したのは隣人のフランク大佐で間違いないでしょう。しかし、その直後、妻キャロリンが家に着いてクローゼットを開け、レスターの服を抱きしめて泣き崩れるシーンにはどんな意味があるのでしょうか。
彼女はレスターの死体を見てもいないのに、なぜあそこで泣くのか。銃声は雨音でかき消されていたはずです。もし自分が犯人ではないなら、普通はすぐに警察に通報するはず。もしかしたら、キャロリンはあの銃で自分自身を撃とうとしていたのかもしれません。結局それができず、あの部屋に逃げ込んで自分自身を嘆いていた。レスターがすでに死んでいることを知らずに……。そう考えると、彼女の深い苦悩が垣間見えるような気がしてなりません。
2. 隣人リッキーの「嘘」
もう一つは、隣人の息子リッキーが、父親のフランク大佐に対して自分がゲイだと嘘をつくシーンです。父親への反抗心を表すなら、もっと早くできたはず。あのタイミングで、あんなひどい嘘をつくメリットは何もないように思えます。
彼は父親が同性愛者であることを見抜いていたのかもしれません。そして、母親を精神的に追い詰めていた父親への復讐として、あえて誤解を解かなかったのでしょうか。あるいは、あの家族の歪んだ関係にうんざりしていたのかもしれません。リッキーの行動は、見るたびに様々な解釈を生み出し、まさに人間の複雑さを象徴しているようです。
「幸せ」とは何か、自分への問いかけ
結局、レスターは妻が自分を殺そうとしていたことや、最愛の娘が変な男と駆け落ちをする事実を知らないまま死んでしまいます。彼は、過去の美しい思い出だけで生きていけたから幸せだったのでしょうか。
この映画を観終わった後、私は幸せだと思えば幸せだし、そうでないといえばそんな気もする。もしかしたら、この映画の真の目的は、観る者に「幸せ」とは何かを考えさせることだったのかもしれません。
現代社会に生きる私たちも、レスターのように、あるいはその家族のように、様々な形で「歪み」を抱えているのかもしれません。そんな「日常」の中にこそ、私たちが見落としている「美しさ」があるのかもしれません。
少し前の作品ではありますが、『アメリカン・ビューティー』という映画は、エンターテイメントとして楽しむというよりは、鑑賞後に様々な感情が湧き上がり、考えさせられるタイプの映画です。見応えは十分、観て損はないと断言できます。
この映画、プライムビデオの対象から外れることもあるので、もし観るならダウンロードしておくと安心ですよ。あなたもこの映画を観て、あなたなりの「アメリカン・ビューティー」を見つけてみてはいかがでしょうか。