憧れのニューヨークで働いていたグロリア(アン・ハサウェイ)だったが、失業してからというもの酒浸りの日々を送っていた。ついには同棲中の彼氏ティム(ダン・スティーヴンス)に家を追い出され、生まれ故郷の田舎町へと逃げ帰る。グロリアは幼馴染のオスカー(ジェイソン・サダイキス)が営むバーで働くことになるが、その時驚愕のニュースが世界を駆け巡る。韓国ソウルで突如巨大な怪獣が現れたというのだ。テレビに映し出された衝撃映像に皆が騒然とする中、グロリアはある異変に気付く。「この怪獣、私と全く同じ動きをする…?!」舞い上がったグロリアは、怪獣を操り世界をさらなる混乱へと陥れるが、そこに「新たなる存在」が立ちはだかる-!(C)2016 COLOSSAL MOVIE PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
最初にタイトルを見たとき、完全にコメディだと思ったんですよ。「シンクロナイズドモンスター」なんて、週末に笑ってストレス解消するにはぴったりだろうと。
地球を侵略に来たエイリアンは、その圧倒的なパワーを使ってあっという間に地球を占領する。邪魔になった人類を一人残らず消し去ろうとしたその時、偶然目に入ったシンクロナイズドスイミングに魅せられて地球人とシンクロナイズドするに違いないと。
週末に見て大笑いし、1週間をリセットしようと思いながら再生したのですが…。
なんとも言えない不思議な映画。観終わったあと、妙に静かな感情だけが残りました。
ジャンルとしては、怪獣映画、SF、ブラックコメディ、そしてヒューマンドラマがごった煮状態。かと思えば、アルコール依存や自己破壊的な人間関係という社会的テーマも顔を出す。とにかく一言では括れない映画です。
あらすじ
仕事も彼氏も失ったグロリア(アン・ハサウェイ)は、故郷の田舎町に戻って再出発を図る。ある日、ソウルに突如現れた巨大怪獣が、自分と同じ動きをしていることに気づき、世界を巻き込む騒動へ。やがて現れる“もうひとつの存在”との対峙が、彼女の過去と心の闇をあぶり出していく──。
獣が“自分”とリンクしているという発想
怪獣映画といえば、大都市で暴れまくるイメージ。でもこの作品の怪獣は、なんと主人公の動きに連動して現れます。しかも場所は韓国のソウル。どうしてソウルなのか? なぜ特定の時間帯にしか出てこないのか?──説明らしい説明はほとんどありません。
ただ、それがこの映画の面白いところでもあり、難解なところでもある。怪獣は、現実の破壊者ではなく、心の中に潜む“何か”のメタファーなのかもしれない。感情の爆発、無意識の投影、トラウマ…見る人によって解釈がガラリと変わる余地があります。
アン・ハサウェイはいるだけでアン・ハサウェイなんだよな
個人的な話ですが、アン・ハサウェイを初めて見たとき、顔の造形が美しすぎて「この人、本当に人間か?」と思ったんですよ。、絵画かCGかと疑ったくらい。この映画でもその美しさは健在。ただし今回は、酔っ払ってふらふらしているダメ人間役。ここまで崩れた姿を演じる彼女も珍しく、それだけでも見応えがあります。
対するジェイソン・サダイキス演じる幼馴染オスカーの演技も要注目。最初は好青年に見える彼が、次第に不穏な空気をまとっていく変化は見逃せません。彼のキャラクターこそ、この映画の“もうひとつのモンスター”かもしれません。
おかしな翻訳タイトルと原題「Colossal」
「シンクロナイズドモンスター」という日本語タイトル、最初はなんじゃそりゃと思いましたが、観終わってみると意外と悪くない。原題の「Colossal」は「巨大な」「途方もない」という意味。抽象的で説明不足に感じますが、タイトルにモンスターを入れたことで、視聴者の入り口としては正解だったかもしれません。
ちょっと考えてしまったこと:この怪獣は、何の象徴なのか?
物語の途中から「これはコメディじゃないぞ」と気づきはじめます。アルコール依存、自尊心の低下、対人支配、見えない暴力――じつはとても重たいテーマが隠れている。グロリアがアルコールを飲んでいるときだけ怪獣が現れるという設定からして、自制心のなさや抑圧された怒りの象徴にも思えるのです。
それにしても、怪獣はただ現れるだけ。何かを壊すわけでもなく、訴えるわけでもなく、ただそこにいる。この虚しさ、不気味さ、なんともいえない違和感…。それこそが、この映画が残す“奇妙な感覚”の正体かもしれません。
正直に言いますと何の映画かよくわからなかった。でも、つまらなくはなかった。奇妙な映画って、こういうのを言うんだと思います。ジャンルを超えた構成、曖昧な象徴性、何より先の読めなさがクセになる。
「今までにない映画が観たい」「解釈の余地がある作品が好き」「アン・ハサウェイの違った一面を見たい」――そんな人には、ぜひおすすめしたい作品です。