名門大学を卒業後、うだつの上がらぬ生活を送っていた主人公・和彦。ある夜たまたま訪れた銭湯で高校の同級生・百合と出会ったのをきっかけに、その銭湯で働くこととなる。そして和彦は、その銭湯が閉店後の深夜、風呂場を「人を殺す場所」として貸し出していることを知る。そして同僚の松本は殺し屋であることが明らかになり…。(C)One Goose
冒頭からやたら違和感あったんですよ。
乾いた笑いというか、冷めた態度というか。上手く表現できないんですけれども、どこか別の世界の話をみているようなそんな感じです。
映画なんですからある程度のご都合主義は仕方ないのですが、どうもハリボテというか作り物感が満載で、これはたぶんこういう演出なのだろうと思って視聴していました。
これらの違和感は映画の終盤くらいまで続きます。
正確にいうと中盤くらいでこの感じに慣れてきて、大抵のことが起きても驚かなくなる。
ざっくりあらすじ
名門大学を卒業したにもかかわらず、どこか人生が停滞している青年・和彦(皆川暢二)。
親のすねをかじりつつ、定職もなく、ただなんとなく日々をやり過ごす。
そんな彼が偶然入った銭湯で高校の同級生・百合と再会し、流れでバイトを始めたことから物語は転がり出す。
この銭湯、夜になると様子が一変。なんと風呂場が殺人現場として貸し出されており、
働く同僚の松本(磯崎義知)は殺し屋だった――という、とんでもない展開。
コントロールできない人生にどう身を任せるか
和彦は、自分の信念や正義感で行動しているようでいて、実はただ流されているだけ。
映画の中で「まあ普通そうなるよね。」って思うシーンがいくつかある。自分の意志と無関係に物事は進みますし、少し前に話したことが嘘になり、だれが悪いかがあいまいになる。
“メランコリック=憂鬱”なんて言葉、普段あまり使いませんけれど、この映画に漂う空気はまさにそれ。
淡々としていて、でもどこか寂しくて、時折笑える。だけども決して明るくはない。
結局のところその瞬間に最適だと思う行動をとっていくしかないんですよね。ですがその流れのなかで、ほんの一瞬だけでも“楽しい”と思える時間がある。
それが、彼にとっての救いなのかもしれません。
次の瞬間、すべてが壊れるかもしれない。
それでも、今このときが“ちょっと楽しい”なら生きていける。
そんな感覚に、私もちょっと共鳴してしまいました。
演技と演出についてひとこと
主演の皆川暢二さんは、どこにでもいそうな地味な青年を絶妙に演じています。
あの「感情が読めない顔」がまたいい。
そして松本役の磯崎義知さんが放つ、妙にフレンドリーな殺し屋感もクセになります。
映像の質感はインディーズらしいチープさがあるものの、
むしろその雑味が映画全体のリアルさを増幅させているように思えました。
「なんとなく生きてる」人に刺さる1本
この映画を観終わって思ったのは、
「私も適当に生きたいな」と、素直に思えたこと。
どこかのタイミングで誰もが経験する、「やりたいこともない」「何者でもない」っていう時期。
そういう状態のまま、無理に答えを出さなくてもいいのかもしれない。そんなふうに思わせてくれる映画でした。