ロシアンスナイパー~リュドは兵士でもマスコットでもない。女性である。
1941年、ナチスドイツによるソ連侵攻がはじまった。まだ大学生だったリュドミラは、女ながらその非凡な射撃の才能を買われ、戦場に身を投じる。狙撃兵として次々と標的を仕留めるリュドミラは、やがて敵からは"死の女"と恐れられ、軍上層部には英雄として讃えられ、戦意高揚の道具として…
死の女が射殺したファシストは309人。
第二次世界大戦中に活躍したソ連の女スナイパーのリュド(リュドミラ・パヴリチェンコ)の半生を描いたのがこの映画です。
彼女はドイツを相手に戦っていたようなので日本軍との戦闘はなかったかもしれません。ですがその噂はきっと日本軍にも届いていたと思います。
スナイパーといえば、シモ・ヘイヘが有名で、彼の射殺数はwikiによれば542名。彼よりはやや少ないですが超人的な数値ですよね。まさに死神。
彼女の射撃の腕は一流で、男たちに負けず国のために戦う強い女性。世間ではそのような印象だったのかもしれません。
しかし、実際のところは戦争によって体も心もボロボロになっていました。
人なんて殺したくないし、殺されたくもない。愛する人がこれ以上失われるのは耐え難い。
そしてファシストと罵っていた相手にも愛する家族がいることに気づく。
彼女の功績を考えれば、もう銃後の守りとして引き上げて、あとは静かに傷が癒えるのを待ちたいと思っていたに違いありません。
やっとのことで帰国を許されるも、今度は軍部によってマスコットに祭り上げられてしまう。無理やりやらされるこのマスコットシーンが結構つらいんです。
最後のスピーチで、男の人は私の陰に隠れていませんか?と話すシーンがありました。
これ、リュドが思っていることと、リュドの話を聞いている人との間に誤解がありますよね。
リュドが心に思い描いていたのは、自分を愛してくれた男たちのこと。死線を超えることができたのは、彼らがいたから、彼らが身を挺して守ってくれたからです。
戦場なので死は珍しいことではありません。その死を受け入れるしかないのですが、
自分だけが称賛を受けるのはおかしいと感じていたに違いありません。
一方、あのスピーチを聞いていた人たちは戦争に行っていない自分自身のことや口だけの人々のことを思ったでしょう。
彼女の功績ばかりをたたえ、自分たちはせいぜい財布の中の小銭を寄付する程度。
これではいけないと。だからあの微妙なタイミングでの拍手になったのです。。
この勘違いは戦争における皮肉ですよね。。さらに、終始厳しい顔をしているリュドと対象的な浮かれ気分の人々。彼女本人を見ようとしない彼らには少し腹が立ちました。
リュドを演じる女優さんは結構がっちりした体格をしていてびっくりしてしまいました。
こう、骨ばっているというか、ごつごつしているというか。軍服やドレスを着ているときには全く目立たないんですけども、たまに登場するやや露出が多いシーンで気づきました。
スナイパーの腕前はあまりクローズアップされません。
戦争映画にありがちなグロい描写もそれほどひどくありませんが、なんかむなしくなる映画でした。