出版社・玄武書房に勤める馬締光也(まじめ みつや)は、営業部で変わり者として持て余されていたが、言葉に対する天才的なセンスを見出され、辞書編集部に異動になる。新しい辞書「大渡海(だいとかい)」――見出し語は24万語。完成まで15年。編集方針は「今を生きる辞書」。個性派ぞろいの辞書編集部の中で、馬締は辞書編纂(へんさん)の世界に没頭する。そんなある日、出会った運命の女性。しかし言葉のプロでありながら、馬締は彼女に気持ちを伝えるにふさわしい言葉がみつからない。問題が山積みの辞書編集部。果たして「大渡海」は完成するのか?馬締の思いは伝わるのだろうか?
ちょっと違和感あるタイトルですが、辞書を作るお話です。ずいぶんと前に書籍で読んでとても面白かったことを覚えていました。
辞書を作るというのはとても不思議で奥深い世界ですが、実際にやることはものすごく地味です。この世に言葉はもちろん無数にあり、毎年大量の新語が生まれ、意味を変えて使われ始めたり、もうほとんど使われない言葉になってしまったり。
何十万、もしかしたら何百万とあるそれらの単語を一つずつ吟味して取捨選択し、それが終わったらその言葉に説明を加えていくのです。
それを多くの専門家や校正者の手垢まみれにして、出来上がるのに13年。気が長い話です。辞書作成に取り掛かるきっかけとなった右という言葉の意味ですが、なるほど説明しようとすると確かに難しい。
普遍的に説明する必要があるわけで、自分の右手があるほうだと右の説明にもなりませんし、見る方向が違えば、右が左に、左が右に変わってしまいます。
時計の針の方向だとか、方位を使ってあらわすような例が挙げられていましたが、あの大先生が最後に言った10のゼロのほうが右側というのはとてもシンプルでわかりやすいですね。
だけども、右を辞書で調べる人ってどれほどいるのだろうか。と考えると、辞書に掲載されている単語のなかには、出版されて1回も調べられなかった言葉みたいなものもありそう。
そして、私が一度も使わない言葉も山ほどありますよね。
そう考えると辞書ってどうあるべきだろうかと考えさせられてしまいます。
辞書の話になってしまいましたが、映画の内容について。
主人公である馬締(まじめ)を演じるのは松田龍平さん。
なんというか、ものすごく地味で根暗だけれども一生懸命な様子を演じてくれたのですが、少々やりすぎな気もしました。
ここまでひどいと辞書を作るどころか、仕事なんかできないんじゃないかと思うのですが、まあ映画なのでそれはそれでよいでしょう。いまでいうところのADHDみたいな感じです。
その妻となる林 香具矢(はやし かぐや)を演じるのは宮崎あおいさん。
もの静かな感じで映画の雰囲気には合っていたと思います。
だけども二人とも言葉や表情が乏しい役どころなので、ややもたもた感じがします。
二人が恋に落ちたところはいったいどこだったのか。
あの手紙?あの変な手紙が二人を結びつけたのは間違いないと思うのですが、そこにたどり着くところまでですよ。
馬締さんの一目ぼれでいいのかな。かぐやも同じように一目ぼれに近かったと。
多少浮き沈みはあるものの、辞書作りのように終始淡々とした感じで話は進みます。
大渡海の辞書とはちょっと毛色が違いますが、インターネットの辞書と呼ばれるWikiのページ数はもう100万ページを超えていて日々更新されています。
たぶん日本のどの辞書・事典よりも詳しい内容が書かれているのではないでしょうか。
今はGoogleで調べればたいていのことはすぐわかるので、辞書を作ると言う意味もだんだん薄れていっているんでしょうね。
活字ですと登場人物は自分の好きにイメージできますが、私がイメージしていた本の中の人と映画のキャストには少し違いがありました。
2回に分けてみてしまったのもダメだったのかな。