フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法~ラスト。この感覚はむなしさと理解した。
観るもの全てが魔法にかかる−−6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく—(C)2017 FLORIDA PROJECT 2016, LLC.
小さな女の子が手を取り合いながらディズニーランドに入り人ごみの中を掻き分けながら必死に走る。そしてシンデレラにたどり着いたところで映画が終わる。
こんな終わりかたってあるのでしょうか。
映画を見終わる準備ができていないのに唐突におとづれるエンディング。つまり、この映画の解釈は自分の頭で考えろと言うことなのでしょうか。
自分の今の状況すらうまく伝えられないくらい小さな子供が、これまた状況が理解できない小さな親友を頼ったとき、どんな反応をするのか。
シンデレラ城にいっても少女ムーニーの置かれている状況が好転することはなく、母親のヘイリーは刑務所に連れて行かれ、ムーニーはどこか知らない土地で暮らすしかない。
結局何もかわらないんだよ、と大人は思うでしょう。
しかし小さな子供達が無我夢中走り回ったこの大切な思い出がムーニーの心を支え続けてくれるかもしれません。
母親のヘイリーはミドリの髪の毛、無職、ドラッグと退廃的な生活を送っています。だからといって育児放置はせず、面倒を見ると言うよりか友人として一緒に楽しんでいる。
ヘイリーを取り巻く人々も、決して悪い人ばかりではなく、あのモーテルの管理人のようにさりげなく彼女達を支えてくれる人もいる。
そんな中明るく楽しく暮らしていたヘイリーとムーニー。
自業自得といってしまえばそれまでになってしまうのですが、底辺から這い上がれないヘイリーは坂道を転げ落ちるばかり。
とうとう超えてはいけないラインを超えてしまい、友人達にも愛想をつかされムーニーは保護対象となってしまう。
迎えに来た保護観察員。何がおきているがムーニーは理解できませんでしたが、本能的に母親と別れなくてはならないことを感じ、どうしてよいかわからないまま、親友の家のドアをたたくのです。
今思い返してみれば、町の風景の看板にはディズニーの文字がありましたし、誕生日を祝うときにあがった花火。アレはディズニーのシンデレラ城で毎日打ち上げられる花火ですよね。
あのマジックバンドもディズニーのものに間違いないでしょう。
夢の世界はすぐそこにあるのに。実際の現実の世界はこんなにもくすんでいる。なんだか自分の理想と現実を突きつけられたようで、少しむなしい気持ちになりました。
そうだ、この感覚はむなしさですね。
ムーニーがいくら楽しく遊んでいても、知らないおばさんから恵んでもらったお金で買ったアイスです。しかも1つきりのアイスを3人でまわして食べる。
ムーニーとヘイリーの自撮りも、売春相手を探すための1枚だったんですね。
楽しそうにしているけれど、どこか漂うむなしさ。それがこの映画の魅力なのかもしれません。