かなり後味が悪い映画でした。ただ、後味が悪いことと観る価値がないことはまったく別の話でして。むしろこういう映画こそ、一度は向き合っておくべきかもしれないと思っています。ただ、こういうのが苦手な人はトラウマになるので絶対見ないほうがいいです。
どんな映画?
『システムクラッシャー』は2019年のドイツ映画です。監督はノラ・フィングシャイト。主演は撮影当時10歳前後のヘレナ・ツェンゲルで、幼い頃に母親から虐待を受けたことで深刻なトラウマを抱えた9歳の少女・ベニーの物語です。児童養護施設、里親家庭、特別支援クラスと次々と居場所を失っていく彼女が、果たして落ち着ける場所を見つけられるのか——そこが物語の軸になっています。2019年のベルリン国際映画祭でアルフレート・バウアー賞(銀熊賞)を受賞し、同年のアカデミー賞国際長編映画賞のドイツ代表作品にも選ばれました。実話ではありませんが、監督が実際の現場に取材を重ねて書き上げた脚本です。
「システムクラッシャー」とは何者か
タイトルの「システムクラッシャー」というのは、福祉や教育の支援システムそのものを壊してしまう子どものことを指す言葉だそうです。主人公のベニーはまさにそれで、周囲のあらゆるものに噛み付いていきます。施設の職員、里親、クラスメート、誰も彼女の怒りから逃れられない。ただその一方で、愛情を強く求める場面もあって、どっちが本当の彼女なんだろうと戸惑いながら観ることになります。認められたいとか誰かの役に立ちたいとか、そういうわかりやすい動機でもなさそうで、そのつかみどころのなさが妙にリアルでした。
通学付添人という仕事
映画に登場する「通学付添人(Schulbegleiter)」という職業、ご存知でしたか?学校への通学や授業中のサポートを専門に行う人のことで、ドイツでは制度として整備されています。日本にも学習支援員や特別支援教育補助員に近い役割の人はいますが、個人に専任でつく形はあまり一般的ではないかもしれません。映画では、ミヒャという男性付添人がベニーに本気で向き合おうとします。そして彼が提案した「森の中での3カ月間の集中プログラム」が物語の転機になっていくのですが——異性の大人と子どもが二人きりで森に入るというのは、さすがにいろいろ問題がありそうですよね。手を焼き続けた末の苦肉の策だったのかもしれませんが、このご時世には認められないと思います。
このプログラムを通じてベニーは、彼の生活に入り込みたい——そんな気持ちを抱くようになります。当然、それはミヒャの家庭が壊れることを意味します。ミヒャ自身も、ベニーを変えられないと悟ったとき、これ以上巻き込まれるわけにはいかないと判断したのでしょう。だからミヒャは彼女から手を引く決断をします。
母親という存在の残酷さ
この映画でいちばんしんどかったのは、ベニーの母親の描き方です。虐待の加害者でありながら、ベニーにとっては世界でいちばん会いたい人でもある。そのねじれが物語全体を貫いています。母親側から見れば、あそこまで激しく噛み付いてくる我が子は正直手に負えないでしょう。それはよくわかる。それでも、更生しようとするベニーを裏切るたびに、またか……と思ってしまう。お互いが特別な存在であるはずなのに、顔を合わせるたびに足を引っ張り合う。この関係の苦さは、映画が終わってもずっと残ります。
ヘレナ・ツェンゲルという10歳の迫力
主演のヘレナ・ツェンゲルは、撮影時にまだ10歳前後だったとは思えないほどの存在感で、スクリーンに釘付けになります。怒りと悲しみと渇望が入り混じった複雑な感情を、子どもの体いっぱいで表現していて、観ているこちらが圧倒される場面が何度もありました。彼女はその後、トム・ハンクス主演の『ニュース・オブ・ザ・ワールド』(2020年)にも出演し、国際的な注目を集めています。この子がいなければ、この映画は成立しなかったと思います。
ラストについて、正直に書く
映画の終盤、死を暗示するような描写があります。それを見たとき、正直ほっとしました。不謹慎なのはわかっています。でも、ベニー自身を含めて、それがいちばん穏やかな着地点なんじゃないかと思ってしまったんです。
ところが映画はそっちには行かない。ベニーは海外のカリキュラムへの参加を承認され、物語はあのラストへ向かいます。そこで盛大に裏切られました。これまで関わってきた人たちへの善意を全部仇で返すような選択をして、映画は終わります。
ベニー自身も、もしかしたら「死ななければ治らない」と覚悟していたのかもしれない。いや、たぶんそんな高尚な話じゃなくて、単純にいちばん迷惑をかけられる方法があのラストだっただけなのかもしれない。どちらにせよ、後味は最悪です。
他の方のレビューを見ると、「観る者に問いを投げかける終わり方」として肯定的に受け止めている人も多いようです。たしかにそうかもしれない。ただ私には、問いを受け取る余裕がなかった。ただただしんどかった、というのが正直なところです。
