アイアムアヒーロー
鈴木英雄。仕事は冴えない漫画家アシスタント。彼女とは破局寸前。そんな平凡な毎日が、ある日突然、終わりを告げる…。徹夜仕事を終えアパートに戻った英雄の目に映ったのは、彼女の「異形」の姿。一瞬にして世界は崩壊し、日常は非日常へと姿を変えて行く。謎の感染によって人々が変貌を遂げた生命体『ZQN(ゾキュン)』で街は溢れ、日本中は感染パニックに陥る。標高の高い場所では感染しないという情報を頼りに富士山に向かう英雄。その道中で出会った女子高生・比呂美と元看護師・藪と共に生き残りを賭けた極限のサバイバルが始まった…。(C)2016 映画「アイアムアヒーロー」製作委員会 (C)2009 花沢健吾/小学館
8月末にamazonプライムビデオで解禁されることを知り、とても楽しみにしていた1本でした。
和製のゾンビ映画という観点ですと、とても良かったと思いますが、ラストがすこし消化不良になってしまいました。
冒頭のてっことの格闘のシーン。
ドアの隙間から見える人間?らしき生き物、アップになったゾンビの表情、ヒーローを襲う非人間的な動きなど、この映画面白いぞ!と思うのに十分な演出でした。
続くタクシーのシーン。
原作と少し話の進め方は違いましたが、国会議員らしい人の壊れていく感じ、
タクシーの運転手の狂っていく感じが本当によかった。
あれだけ体をそらせた状態でアクセル踏めるのか?タクシーの運ちゃん足長すぎだろうとは思ったのですが、最後の大クラッシュまで含めて、切羽詰った感じを冗長させる仕掛けで、こちらも大満足。
おお、このペースでどこまで行くのだ?と楽しみにしていたのですが、樹海で半ゾンビの比呂美ちゃんと信頼関係ができるシーンや、富士のモールあたりから雲行きが急に怪しくなってきまして…。
前半で力を出し切っちゃった感じなのでしょうか。
特に大型ショッピングモールでは、もう少し人間の欲望、つまり汚らしいところが見たかったんです。銃を奪われる経緯だとか、モールでの人間関係だとか、女の子2人だけが残ってしまう経緯だとか、時間の制約があるので、仕方ないのだと思いますが、もう少し引き伸ばしてじっくりと進めて欲しかった。
だって、夜につぐみが英雄のところに行くシーンがないじゃないの。
いや、あったけどそういうのじゃなくて…。あのシーン、結構好きなのになぁ。モールの見せ場としては、ゾンビを倒しまくるというところになるのでしょう。
高飛び選手のボスキャラ感を最後まで引っ張ったのは、ラストがあんな感じで終わるからなんですね。
続編があるのかと期待してしまうようなエンディングでしたが、今のところその予定はなし。ですが、さすがにあれじゃ終われないような気がするのです。
コロリ先生も冒頭しかいないし、比呂美ちゃんの無双シーンもないですし、混浴シーンもないし、来栖もいないじゃないの。
私は原作の終わり方は嫌いじゃなかったんですけどね。後半部分はすっ飛ばして、映画ではあっという間に終わってしまいました。
全体的にゾンビはクオリティは高く、評判はいいみたいなので、ぜひ続編を期待したいところです。
もし本当にゾンビが大量発生したらてっこみたいな感じで襲ってくるのかもしれない。それだったら、逃げ切れる気がしないな。。。
オーケストラ!
劇場清掃員として働くさえない中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)は、かつてはロシア・ボリショイ交響楽団で主席を務めた天才指揮者だった。彼は、共産主義時代、“ユダヤ主義者と人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家たち全員の排斥を拒絶し、名声の絶頂期に解雇されたのだった。ある日、清掃中にアンドレイは、1枚のFAXを目にする。それは、演奏を取りやめたサンフランシスコ交響楽団の代わりに、パリのプレイエルに出演するオーケストラを2週間以内に見つけたいという内容だった。その瞬間、彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。
私が好きなジャンルの一つである、クラッシックを題材としたテーマです。
舞台はロシア。政治的なパフォーマンスもあり、わざわざコンサートの途中で演奏を中断させられ、解散した楽団がちょっとしたことをきっかけに再結成します。
ソリストとして指揮者アンドレイが指定したのは、アンヌ=マリー・ジャケ。
彼女とともに演奏することも、実はアンドレイの目的でした。
30年とうブランクがあったり、直前で本物の楽団に事実がばれるなど、今回も大失敗に終わるのかと思いきや、アンヌの演奏に再びみんなの心が一つになり、大成功するというお話です。
ロシアらしい雰囲気がとてもよく、アンヌ=マリー・ジャケの演技もよかったです。
ロシアの美人のお姉さんだろうと思ったら、フランスの女優さんでした。本当に人形みたいな顔立ちとスタイルです。
熟女が好きというわけではないのですが、アンヌの母親代わりだった、女優ギレーヌさんも秘密を抱えている感じがとても良かったです。確認したところ、ミュウ=ミュウさんということで、なんだか不思議な名前ですね。
映画の設定上、解散から30年というブランクが必要だったのですが、さすがにちょっと期間が開きすぎではないかと思います。
当時30歳だった人が60歳になっているわけですから、練習もリハーサルもなしで演奏がぴったりあうというのは、すこし現実離れしています。
それほど曲に対するみんなの思い入れが強かったといことや、ソリストを見てみんなの心が一つになるということを強調したかったのでしょうが、やややりすぎかなと思いました。
ネタ役として用意されていたお金持ちの彼はなかなか良かったです。結局彼は縛られたままオーケストラに参加することになったのですが、たくさんお金をだして、TV局まで読んだのに、演奏中はちょこっと映っただけ。
せめて最初や最後に1つの音だけを出すようなそんな演者として出演させるパターンにしてあげればよかったのにと同情してしまいました。
パガニーニをはじめ、クラッシックに普段縁のないわたしからすると映画を見ながらオーケストラが聞けるのはとてもうれしいのです。
こんな感じで物語とともにクラッシックを聞くことができれば、敷居が高いと感じることもなくなってくるのかもしれません。
音楽好きならぜひどうぞ。
セッション
2015年度アカデミー賞®のダークホースが、3冠を獲得!!名門音大に入学したドラマーと伝説の鬼教師の狂気のレッスンの果ての衝撃のセッションとはーー!?[才能]VS[狂気] この衝撃に、息をのむ。© 2013WHIPLASH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
見終わった後に、不快感と爽快感が同時に湧き上がるという何とも不思議な1本でした。
主な主人公はレスリングの某監督を思い出させるツルツル頭の指揮者(フレッチャー)とどこにでもいそうな、ちょっと冴えないドラマーの彼(ニーマン)。
自分で声をかけたにも関わらず、フレッチャーはドラムの彼に対して、強烈なパワハラを繰り返します。
映画の中とはいえ、フレッチャーはやりすぎです。しかし、覚醒したニーマンがそれにこたえようとすべてをすてて音楽に取り組みます。
そしてストーリー転換のきっかけとなる演奏会。ここで、大事件が発生し、ニーマンは演奏をすることができなくなります。
ああ、ニーマンはこれで終わりかという残念な気持ちと、解放されてよかったねという両方の気持ちが入り混じります。
目的を失ったニーマンですが、フレッチャーに偶然出会ってからがすごかった。
ここからが一番良いところですので、詳細は書きません。
フレッチャーのクズっぷりには腹が立ちましたが、ニーマンはもっとすごかった。
アレは、やり返したいとか、仕返ししたいという感覚ではないですね。オレはこれだけやれるんだ、これだけ才能があるんだということを誇示し、フレッチャーだけでなく、自分自身を納得させたかったのだと思います。
本当の狂人はニーマンなのかもしれません。
道を極めるということはこういうことなのでしょうか。ここまでやらなければ、人を感動させ後世に名を遺すような音楽家になれないのでしょうか。
映画のテーマともなっている音楽のタイトル調べていたら驚きの事実が。
この映画の原題はなんと『ウィップラッシュ(Whiplash)』。こちらのほうが数倍良いじゃありませんか。
なぜセッションに。。。
セッションというと強調するとか、相手に合わせるとかそういうようなニュアンスが含まれないでしょうか。ですから、私はラストは2人がきれいにかみ合うというラストを期待したのですが。
これはバトルです。自己主張です。どちらも尖っていなければなりません。
セッションというタイトルからは程遠い内容。
あえてそれを狙ってつけた和題なのでしょうか。
心が弱い人は、フレッチャーのパワハラをみるとウツになる可能性大です。それくらい強烈な映画でした。
視聴後の感想がずいぶんとわかれる1本になりそうだ。