デルは、この地球上で一人だけ。人類がすべて死に、誰もいなくなった町で、死体を弔い、空き家を整理しながら回るデル。小さいけれど自分だけの楽園を細々と作り上げる事に喜びを感じていた。何もないこの世界が気に入っていたデルは地球が"普通"だった時から、ひとりが好きだった。
なかなか興味をそそられるタイトルですよね。原題は I Think We're Alone Nowで、パッケージにはピーター・ディンクレイジ。
ゲーム・オブ・スローンのティオリン・ラニスターの印象をいまだに引きずっているのですが、彼の違った一面が見たいと思い、早速ダウンロードして視聴しました。
舞台は人類の大半が死滅したとある小さな町。その小さな街で黙々と作業をする一人の男、デル(ピーター・ディンクレイジ)。
住人のいなくなった家に入り込み、何やら黙々と作業をする。作業が終わると家の前の道路に大きな×をつけていく。単調だけど静かな毎日。デルはそれを受け入れてすごしていました。
ある日唐突に打ち上げられた花火。「ほとんどの人類が死に絶えた」と思っていたのですが、どうやら生き残りがいるようです。
次の日に現れた美少女グレース。ここから、デルとグレースの関係が始まります。
もしかしてグレースの体にはウィルスの抗体があってそれを利用するために、マフィアに狙われるパターン?かと思いきやそうではなさそう。
ならばもしかしてここからゾンビ?花火の音に惹かれてゾンビが世界中から集まってくるのか?
と思いましたが、これも違いそう。
それなら世界に男と女しかいなくなったらやることは決まっている。このまま恋に落ちて子供達と幸せに暮らす展開?
こんな浅はかな考えしかできない私を許してください。私の予想は裏切られ、二人の生活がはじまります。
淡々とストーリーがすすみますが、テンポはややゆっくり。もどかしさは感じませんでしたが、いったいこれどうなるんだろうと思っていました。二人の関係がぐっと進展したかと思った次のシーンで驚かされます。
え?だれ?キミ達。お父さんとお母さん?しかも血がつながっていない?混乱してそこからエンディングまで意味がわかりませんでした。
デルが街にいってグレースを連れて帰る。最後にスローモーションになったあたりで頭の中にたまっていたモヤがやっと晴れました。
結局のところ人類は滅びていなかったのです。行動範囲の狭いデルがそう思い込んでいただけ。
自分が広いと思っていた世界はとても小さく、自分のやっていた作業にどれだけの意味があるのだろうか。
でもね、二人は明日からまた同じ作業をすると思うんです。自分達の住む町がきれいになったら次は別の街へ。
それがよいかわるいかなんてのは誰にもわかりません。
ただ、大きなコミュニティに属するために、グレースの様に外科的な手当てをしなければならないことや、偽りの妻を演じるあのお母さんの定まらない立ち振る舞いにはすこし違和感を感じます。
井の中の蛙大海を知らず。
真っ先にこの言葉が思いつきました。日本ではあまり良い意味では使われませんが、
井の中の蛙のほうがより人間らしく、幸せなのではないかと思うのです。
ピーター・ディンクレイジがこれを演じていることにとても意味があります。
「街の人がいたときも、自分は孤独だった。」
彼が言うからなおさら重い言葉になりますよね。
彼自身相当苦労してここまで上り詰めたでしょうからね。
なかなかいい映画でした。大人な人におすすめします。