ロープ 戦場の生命線~戦地の理不尽さを描きたかったのだろうか
1995年、停戦直後のバルカン半島。ある村で井戸に死体が投げ込まれ生活用水が汚染されてしまう。それは水の密売ビジネスを企む犯罪組織の仕業だった。国籍も年齢もバラバラの5人で構成される国際援助活動家“国境なき水と衛生管理団”は、死体の引き上げを試みるが、運悪くロープが切れてしまう。やむなく、武装集団が徘徊し、あちこちに地雷が埋まる危険地帯を、1本のロープを求めてさまようが、村の売店でも、国境警備の兵士にもことごとく断られ、なかなかロープを手に入れることができない。そんな中、一人の少年との出会いがきっかけで、衝撃の真実と向き合うことになる・・・。(C)2015, REPOSADO PRODUCCIONES S.L., MEDIAPRODUCCION S.L.U.
ユーゴスラビア紛争の舞台となったバルカン半島のどこかの地域で井戸に捨てられた死体の引き上げシーンから始まります。
死体引き上げを担っているのはNGO団体である国境なき水道屋みたいな人々です。
死体はでぶっちょな男だったので、ロープが途中で切れてしまいまいます。このまま死体が腐ると井戸が汚染される。近隣にある2つの井戸には地雷が仕掛けてある。仕方がないので、もっと丈夫なロープを探すために村へ向かう。
ロープなんてどこにでもあると思うのですが、これがなかなかうまくいかない。
ボランティアでやっているし、紛争に対して何のしがらみもないはずなのですが、地元の商店の人がロープを売ってくれないんです。
そもそも井戸に死体を投げ込んだのは住民への嫌がらせとか、水を高く売りたい業者の陰謀だとか。なんだそれ。戦争あんまり関係ないじゃない。
死体が投げ込まれたような井戸の水は使いたくないと思うのですが、生きていくためには仕方がないのですかね。
ロープを探している間に、不幸な少年を見つけ助け、この少年の両親が使ったロープを再利用することにすることになりました。
死体がぶら下がっていたロープで死体を吊り上げる。これはこの映画でいくつも登場する皮肉の一つですよね。地雷が埋めてある牛の死体の前で野宿していると、牛を連れたおばあさんに助けてもらうとか、融通が利かない国連軍とか、停戦っていっているのに捕虜を処刑しようとしている兵士とか。
理不尽なことばかりが起こっているという事実をこの映画で伝えたかったのかもしれません。だけども担当者間の恋愛みたいなシーンって必要ですかね。
あくまで担当者は仕事としてやっていて、家庭も日常も戦地にはないということが言いたかったのか、彼らも人間ということを強調したかったのか……。
結局のところ彼らは井戸の死体を引き上げることもできずにその場を去ります。
ラストは救われる形で終わるのですかね。
結局のところNGO法人がいろいろ動いたことは無意味になってしまったわけなのですが、これをみて一体何をどう考えればよかったのか。
原題はA Perfect Day。いや、全然完璧じゃないじゃないの。これも皮肉の一つでしょうかね。なんかもやもやーっとしたまま終わった1本でした。